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静岡地方裁判所浜松支部 昭和33年(わ)227号 判決

被告人 三田寺こと河合ミナ十

主文

被告人を懲役壱年に処する。

但しこの裁判確定の日より弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は高等女学校卒業後銀行員となつたが、当時偶々戦傷を負つて浜松陸軍病院に入院中の三田寺勝人(当三十八年)と知り合い、昭和二十年頃同人と結婚し、以後肩書住居地に両親と共に居住して二児を儲けるに至つた。この間夫勝人が病弱であつたため、被告人は自ら会社事務員等として一家を支えて来たのであるが、勝人は生活能力に乏しいうえ身持ちも悪く屡々情婦を作つて家庭を顧みないため、日頃同人に対して不満の念を抱いていた。殊に昭和三十二年夏頃勝人が肺結核の手術のために浜松市三方原所在の病院に入院して後は、同人が看護婦の長倉幸子と懇ろとなり退院後も暫時同女と同棲生活を送つたりしたほか、被告人や両親から金銭を無心しては同女との関係を続ける有様となつたので、被告人は同人等に対してますます強い不満を感ずるに至つたが、幼児等の将来を思い夫の覚醒の日あるを願つてひたすら隠忍を重ね煩悶を続けていた。

然るに夫勝人は依然その態度を改めないばかりか昭和三十三年十月一日夜も被告人に対し些細なことに言いがかりをつけその詫料名下に金銭を強要したので、被告人は予てより将来に備えて細々と蓄えて来た現金の全額一万二千円を捲き上げられてしまう始末で、同夜はこれを苦にまんじりともしなかつた。翌十月二日午前八時頃自宅四畳間寝室において、夫が平常に似ず早起きして衣服を着け前夜被告人から取り上げた現金もポケットに納めレインコートを羽織つて勝手場の方に出かけるのを目撃した被告人は、夫がこの金を持つて再び情婦の許に走るに違いないと直感しこれを口惜しく思うと共に、永年の自己の苦衷を理解してくれない夫の態度に憤りを覚え、とつさに夫の後を追つて自宅勝手場に赴き、あり合わせの薪割り用手斧一挺(昭和三十四年領第五号)を右手に持ち、同所のポンプで井戸水を汲んでいる同人の背後に忍び寄り右手斧の背棟部で同人の後頭部を二回殴打し、よつて同人の右側頭部二箇所に加療約二週間を要する挫創及び裂傷を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

なお本件公訴事実中被告人が判示日時場所において被害者である夫勝人に対して俄かに殺意を生じたうえ本件犯行に及んだが直ちに同人に阻止されたため判示の傷害を負わせたに止まりその目的を遂げなかつたものであるとの殺人未遂の点に一言すると、被告人が逮捕されて以来終始殺意を否認していることは一件記録に徴して明らかであるほか、当時被告人としては勝人が情婦長倉幸子の許に走るのをすでに観念していた様子が窺われるから、判示認定の本件犯行の動機だけでは被告人に対して夫を殺害する意思までも抱かせるに足るものとは認め難い。

そのうえ被告人が本件犯行に際して判示の手斧を用いたのは被告人が非力のため単に現場にあり合わせた得物を手にしたまでの偶然の事情に基くものと認めるのが相当であり、又その手斧の形状は小型且つ軽量であり、その背棟部による打撃を以てしては被告人がよほど優位の姿勢をとらない限り成人男子を容易に殺害し得る兇器とは認められない。

しかも被害者は病身であるとは言え被告人よりも長身優位の体格であり、殊に被害当時はポンプで井戸水を汲むために身体が上下に揺れ動いている状態にあつたのであるから、これに対して非力な被告人がその背後より有効打を加えることはむしろ困難であり、発生した傷害の結果もその程度は極めて軽微である。

「以上の諸点を総合すると、本件犯行当時被告人が被害者に対して積極的な殺意を有していなかつたことが明らかであるばかりでなく、被告人に殺人の未必の故意を認めるに足りる証拠も充分ではない」と言わなければならない。

よつて判示のとおり傷害の事実を認定した次第である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するから所定刑中懲役刑を選択したうえその刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、情状により刑法第二十五条第一項を適用してこの裁判確定の日より二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟第百八十一条第一項本文に従い全部被告人の負担とする。

(裁判官 高橋栄吉 鬼塚賢太郎 友納治夫)

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